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反抗的人間 (カミュ全集6)

題名:反抗的人間 L'Homme Revolte (カミュ全集6)反抗的人間 (カミュ全集6)_e0158454_18462530.jpg
著者:アルバート・カミュ
出版年:1973年
出版社:新潮社

「われ反抗すゆえにわれら在り」
というフレーズが、カミュの名言として紹介されていた。
一人称の「我」が、「反抗する」と複数形の「我ら」になる理由を知りたく思い、読書。

不条理を扱うカミュ。

『異邦人』では、一個人に生じた不条理を、

『ペスト』では、たくさんの人々(あるいは社会)に降りかかった不条理を物語った。

この『反抗的人間』を読み、

個人と社会の不条理との関わり合いの違いと共通点や、

それらアイデアに至った背景や発展の過程を辿ることができた。


それが如実にわかる部分を以下、引用する。(pp. 25)
(「われ反抗す、ゆえにわれら在り」と書かれた部分でもある。)

不条理の体験では、苦悩は個人的なものである。反抗的行動が始まると、それは集団的であるという意識をもち、万人の冒険となる。だから、自分が異邦人であるという意識に捉えられた精神の最初の進歩は、この意識は万人を分け合っているものだということ、人間的現実は、その全体性において、自己からも世界からも引き離されている距離に悩むものだということを認める点にある。一個人を苦しめていた病気が、集団的ペストとなる。我々のものである日々の苦悩の中にあって、反抗は思考の領域における「われ思う(コギト)」と同一の役割を果たす。反抗が第一の明証となるのだ。しかし、この明証は個人を孤独から引き出す。反抗はすべての人間の上に、最初の価値を築き上げる共通の場である。われ反抗す、ゆえにわれらあり。

また、この『反抗的人間』を読むと
カミュは不条理を嘆くよりもむしろ、
不条理を受け止め、その上で力強く生きる必要があると信じていたことも
よくわかる。

『死に至る病』のキルケゴールや、「神は死んだ」のニーチェを輩出した後、

全体主義の悲惨さを経験したヨーロッパである。

カミュが本書を通して伝えることは、

物事の判断は、神の手を離れ、人間一人一人に任された。

「嫌と感じる」ものには、断固として「否(ノン)」と言わなければならない。


「上司が言ったから~」「先生に叱られるし」「前例がない」という理由で、
嫌なものでも従うのではなく、
これはやってはいけないと判断し、「やりません」と伝え、やらない理由を伝えられなければならない。
その判断基準を、それを道徳と呼ぶのとは違うと思うが、各自がきっちりと自分の中に確立しなければならない。
全くもって、「今の」話だ。私たちが「今」必要としているものだ。

カミュは、1878年に起きた若者たち(人民の意志党)に畏敬の念をもっていると思われる。
これら若者たちは、圧政を強いる権力者の殺害を企てるが、
その家族を巻き込まないように細心の注意を払う。

カミュは、独裁や戦争を許してはいけないが、それを止めるために暴力を用いてはいけないと
考えていた。
「正義」や「世界平和」を名目に暴力が繰り返されている現状を省みなければならないだろう。


本書を読んでいるときに、たまたま見た動画。
カミュの人柄や考えを知るのに、大変役に立った。


by sakonia73livre | 2018-06-10 18:46 | 西洋哲学